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観の目体験記
前回の<観[かん]の目訓練法>がご好評だったようで、「観の目が深まりました」というご報告を多数いただきました。
今回ご紹介するのは、夫・高木一行と赴いた<慶良間巡礼>において帰神撮影された、高木一行の帰神フォトグラフ最新作です。
これらの帰神フォトグラフは普通の写真とは違うのですが、<帰神>と名前を冠するだけの魔術的、呪術的な情報が、実際に「観える」ようになるには、やはり観の目を相当深める必要があります。
2015.11.09 文/高木美佳
<龍宮道 オファリング・セレモニー>が、関東と関西にて開催中です。
◎龍宮道 オファリング・セレモニー in 関東
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http://blog.aal-takeru.com/?p=61
◎龍宮道 オファリング・セレモニー in 関西
『タートル・スイム』 帰神撮影:高木一行
『海中奉納舞』 帰神撮影:高木一行 at Kerama, Aka Island クリックすると拡大(以下同)
→体験記・元のページ:ヒーリング・フォトグラフ、アーティクル『続々続々・観の目』
☆体験記中にある『スフィンクス神像』の帰神フォトが公開されていますので、ぜひご覧下さい。
面白い恰好のオットちゃん。
龍宮館のアイドル・キャット、マヤ(一名:キュウちゃん)。最近、セクシーさが出てきたともっぱらの噂(!?)
一体、<帰神フォトグラフ>と普通の写真の、どこが違うの? と思われる方もいらっしゃることでしょう。
いまや、すっかり帰神フォトのファンである東前公幸さんは、以前は「まったく観えなかった」人です。帰神フォトを夫から解説されても、「???」と返答に困っていらっしゃる姿を私もみたことがあります。
旧ヒーリング・ネットワークのサイトに、東前さんが書かれたリポートが載っていて、今読んでも非常に面白いので、ここにご紹介させていただきます。
観の目体験記
東前公幸(京都府)
私の現在までの観の目に対する経験について、もちろん広大なる可能性の一端のみの体験であろうことを直感しながらも、微力ながらも初学の方々の御参考になれば幸いであるという思いから、現在では失礼、無礼と思われる表現を使うことを御許し願いつつ、記述させていただきたく思います。
初めて、帰神フォトに接する機会をいただいたのは、昨年末頃、広島でのヒーリング・アーツ指導会の折であったと思います(編注:ヒーリング・アーツとは、<龍宮道>の前身となる体系)。道場の壁に何かの軌跡が写ったようなお写真や美佳先生が様々な衣装を身にまとわれてお写りになっているお写真等がかかっており、一体これは何だろう???・・・???と見ても考えてもピンとこず、ただ眺めておりました。
後ほど高木先生より「これは龍神が口を開いたところで、ここにひげのようなものがあって云々・・・」「ここに兎の顔があって云々・・・」と御説明を受け何度も見直しても、なんとかそれっぽい形が写っているなとわかる程度で、だからといってこれは一体何のためのものなのだろう? 新しい芸術活動かしら? くらいにしか思いませんでした。また兎はこうだ、龍はこんなだという先入観が災いして、観ることを邪魔しているように感じました。
次の指導会に参加した際、パソコン上のスライドショーを高木先生の御指導の元、拝見する機会をいただきました。
メドゥーサ修法(編注:『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』にも解説されているヒーリング・アーツの一手で、観の目修養法のひとつ)を執り行いつつ、何枚も拝見しました。後ろで観ておられる鳳龍塾(編注:旧ヒーリング・ネットワーク・メンバーの上級クラス)の方々から「オーッ」という歓声がいっせいにあがる中、スライドショーの速い速度についていくのが精いっぱいの私は、またしても???の状態です。
しかし、先生の御導きに従い、レット・オフがうまくいくと、時々、お写真がクリアーに立体的に観えるときがありました。
また鳳龍塾の方が持参されたエロース神像の帰神フォト(プリントしたもの)を観の目で観ようとしていた時、一瞬ですが、その神が浮かび上がり、観つめられているように感じて背筋にたまふり(注:たまふりとはヒーリング作用が振動感、振るえなどとして感じられる現象)が起こるのを感じることがありました。
その日の帰りにタクシーに乗っているさい、外の景色を眺めておりますと、ごく普通の道路がとても立体的に感じられて、複雑な空間性が迫ってくるようでした。普段の知覚との違いに少し違和感と眩暈[めまい]を覚え、目を閉じてあまり景色を見ないようにしました。
たまふり塾(編注:旧ヒーリング・ネットワーク・メンバーによるヒーリング・アーツ修養グループ)への入門をお許しいただいてより、帰神フォトを拝見する機会が増え、少しずつ観え方が変わって、植物のお写真等は美しさを感じだしましたが、依然として先輩方の記述される感・動の表現にはピンとこない状態でした。
ブレイクスルーともいうべき体験が起こった時期のことは今でもよく覚えております。ヒーリング・ネットワークのホームページに「ヒーリング・フォトグラフ」の連載が開始され、ギャラリーと観の目を扱ったアーティクルが連載され始めました。 アーティクルを熟読し、御紹介いただいている修法を執[と]り行っていきました。
まずは「金秋」のスライドショーを何度も観照していきました。観の目をキープしながら動いてみる、光っている部分や色調の同じ部分の連なり、全体性を観の目でとらえる、といった要訣を意識しながら観照していますと、秋の宮島の景色の裡に、まさに超次元ロールシャッハ・テストという言葉がぴったりだと思えるほど、色々な形、目や顔、動物の精霊のようなものが複層的に観えてきました。
こうなると楽しくなってきて、何度も観たり、他のスライドショーで執り行ったりとしておりました。先輩方のコメントにも成程と思われてきて、さらにそこに書かれてあることを試すなど、無邪気にやっているうちに、ますます楽しくなってきました。
そのような時に、帰神フォトを観照するための基本作法と、「祈りをささげる」ことを御教えいただきました。そして、たまふり塾掲示板上でスフィンクス神像の帰神フォトを拝見する機会に恵まれました。
基本作法に則り、柏手を打ち、祈りをささげてから、ゆっくり時間をかけて、観の目で観照させていただいているうち、お写真内の神像が意志を持つかのごとく動きだしたかのように知覚されてきました。
目が痛くなり、涙が出てくるのを受け・容れつつ、目を瞼の形に沿って見開き続けるよう意識しながら、驚異の念で観照し続けていると、ついに動きは止まり、神像が黄金の光を放ちはじめ、さらには画面から黄金の光が漂い出てきました。しかもそれが、見たこともない文字なのか模様なのかわからないものとなって漂いだしたのです。
ここまでくると、さすがに畏怖の念を感じずにはいられませんでした。神と対峙しているという喜びと恐れの入り混じった強烈な感覚に、思考は停止し、しばし呆然としておりました。
そのことがあってより帰神フォトへの私の姿勢は全く変わりました。喜びと楽しみをもちながらも神聖なるものへの畏敬の念とともに、お写真を観照していくとメドゥーサ神、龍神とまるでお写真のなかから呼びかけに応えて顕れてくださるかのようでした。
生きた神と対峙して、観つめ返されるがごとき体験に時空は変容し、魔法の世界に参入したかのような感を覚えました。その時、ふと映画「ハリーポッター」の世界に現実に入ってしまったかのようだと思いました。帰神フォトはまさに現代の魔法なのではないかと思いました。
その後、観の目に関する様々な修法を御伝授いただくたびごとに、さらに多層的な世界が展開されてきて、観の目の素晴らしさにますます心惹かれてきております。
身体感覚も変わってきますし、疲れ目や、疲労感がメドゥーサ修法を執り行うことで直ちに解体されることがあります。また、植木や道路脇の樹木等、毎日見ていたごくありふれた景色を観の目でみると、帰神フォトのような立体感、輝き、存在感などをもって観えてくることがあり、そのことだけでも心が浮き立ち、癒されるものがあります。
観るという行為に秘められた可能性を、比較的簡単な修法で開いていくことができる観の目を多くの方々に体験していただきたい、この能力を開かないのはもったいないと最近の私は感じております。
また帰神フォトは単なる写真とは全く異なり御神気の込められたものであり、観る者が、祈りの気持ちとそれを開く鍵(観の目)を持って観れば、その中に秘められた神聖な力と共振することができる魔法の神具であるという認識が芽生えてきました。
帰神フォトを観照しておりますと、最初観えていたものとは全く違う形や構造が観えてきたり、観えなくなったりと多層的構造があるように感じます。観の目と祈りに応じて一舞(枚)の御写真のなかにめくるめく神秘世界が少しずつ、あるいは突然に開かれてくる体験は何度体験しても新鮮な驚きがあります。そうなってくるとやはりプリントしていただいた帰神フォトを自宅に御迎えし、じっくりと観照できることの有難さが身に沁みてまいります。
帰神フォトの世界は今も生成発展を続けており、次にどんなマナに出会うことができるのか予想すらつかないものだと感じます。私の体験は個人的で限られたものであり、先輩方には私には想像もつかない驚異的でユニークな体験をされておられる方が何人もいらっしゃいます。
是非、世界と自らの裡に秘められた次元に驚異の目を見開かされる体験を、多くの方がなさってほしいと祈らずにはおれません。
帰神フォトにおいては、表示されているPC画面、あるいはプリントされた紙一枚の表面はあくまで「扉」であり、その奥に、無限の神秘世界、魔法の世界が広がっています。
時に、<魔術的>としかいいようのない不思議な映像が顕[あら]われたりしますが、しかし実は、それが<生命>の真実であり、何もみえない、何も感じられないことの方が、はるかに病的であるとしたら・・・。
人間が機械化され、藝術的感性(創造性)を失っていることは、今の社会を見渡しても「皆がそうなんだから仕方ない」となかば諦めムードで普通のこととされてしまっています。しかし<観の目>の訓練によって、観える世界、生きる世界そのものが、その真実の姿をみせてくれるのですから、ありがたいことです。
東前さんのように、最初はまったく観えないとしても、それは悲観することではないのです。むしろ、「これから未知の感性が開かれる」という可能性の宝庫が、人間自身にあるのですから、探求の楽しみは尽きません。
我らは、歓喜と感謝に満たされる!!!
龍宮館のペット・スネーク、パプアン・カーペットパイソンのラビュリンス様。
他のほとんどの蛇たちがシェルターに隠れる中、ラビュリンスだけはいつもケージにレイアウトした草の上でのんびり寛いでいて、その姿を観せてくれる。蛇なのに「明るい性格」と夫の一番のお気に入り。蛇は暗くて狭くて湿ったところが好きなのですから、隠れる蛇たちを責めないで下さい。
龍宮館のペット・ゲッコー、クレステッドゲッコーの赤ちゃん、ハッピー・エンド。
ヤモリというのは、体の色がかなり変化するようです。ご覧の通り、ケージの背景にレイアウトされた岩肌風のカラーと見事に融合しています。
同じくハッピー・エンド。今度は床材にもぐって寝ています。床材のヤシガラとまったく同じ色になっているので、どこにいるかわからず、「ハッピー・エンドがいない!」と探しまわったことも・・・。
同じくハッピー・エンド。夜行性なので夕方に起き出し、夜、体の色がもっとも鮮やかになった時。脇腹がクリーム色からレモン色などの黄色のグラデーションで黄土色へと変化しています。上の2つのフォトと色が全然違いますが、フォトに現われた変化は実物と同じリアルなものなのです。
ドゥエンデさん。なぜ君はそんなに面白いのですか?
今回ご紹介した高木一行の帰神フォトグラフ『海中奉納舞』、『タートル・スイム』が、<女神マルシェ>にて販売中です。