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観の目訓練法
<帰神スライドショー&帰神ミュージック>を観照する時、<観[かん]の目>という目の使い方で「観[み]る」ことで、帰神フォトグラフに込められた生命[いのち]の波紋とダイレクトに響き合うことができるようになります。
観の目の練修は、まず、静止画で訓練するところから始めます。
下の帰神フォトグラフ、『花精[かせい]』からの一舞(枚)を例にとってご説明します。
☆私たちは帰神フォトグラフを数える時、「一舞[いちまい]」「二舞[にまい]」と、「枚」という文字に「舞」の漢字をあてています。龍宮道式で、全身で「舞いながら」撮影する帰神フォトグラフは、写真自体がひとつの舞の表現ともいえるのです。
2015.10.17 文/高木美佳
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オオトカゲのオットちゃんことリーラ。鋭い爪を使って網戸を蜘蛛のごとく自在に歩き回る。
龍宮館のアイドル・キャット、マヤ。キャット・アスレチックで遊ぶ。
この帰神フォトを撮影したのは、夫がまだ保釈される前の2012年冬だった。パパ(夫のこと)が大好きなマヤの健気な姿に、とても元気づけられた思い出のフォトです。
夫の手に載ってバスキング(日光浴)するリーラ。
ハンモックでくつろぐスピカにちょっかいを出すマヤ。
まず上の帰神フォト全体の、真ん中の一点をみつめてください(クリックすると拡大するので、大きな画面でも練修してみてください)。
じっとみつめながら、「みつめる」という行為をなさしめている意図をさぐっていきます。
そして「一点をみつめる」行為はそのままで(視点を変えない)、その「みつめよう」としている意図そのものを、スイッチを切るようにオフにします。
通常「みる」場合、みている対象について「これは写真だ」、「これは花だ」「白い花だ」・・・など、色々な思考と判断によって、その対象物に名前をあてがうことが、自動的に行なわれています。
しかし、一点をみつめたまま、「視点はそのままで、みるという行為の意図(コマンド)をオフにする」ことで、頭は何かを判断することをやめ、ただ、ありのままの対象を、目というレンズを通して映す鏡のような状態となります。
すると、明らかに「みえかた」が変わります。
これが「花」で「写真である」といった既成概念が取り払われ、ただ、色と光が粒子的に集合した命の輝きとして、あるがままが映し出されるのです。この白いものが「花である」という概念は、生まれたての赤ん坊にはありません。これが「花である」ことは、社会の中で育ち教えられたことによって、思考がそれを「花」と判断しているだけです。
「花だ」と考えながら、いわば色眼鏡をかけてみるのと、そういった思考や概念がすべて取り払われた状態でただ「観る」のとでは、みえる世界がまったく異なってしまうのです。
もう一つの簡単な<観の目>訓練法として、写真の画面のうちの上半分をみる。次に下半分をみる。次に上下を両方、同時に、クロスオーバーしながら、観[み]る、という方法があります。
画面の上半分をみる時、一番上の端から真ん中のところまで、丁寧にみていくことが重要です。下半分も同じように、下の端から真ん中まで目線を画面上にたどらせながらみていってください。上と下という2つの部分をクロスオーバー(同時に、均等に、意識)するのは、最初多少、難しいかもしれませんが、慣れてきたら、左右(画面の右半分と左半分を片方ずつみて、その後、左右同時にクロスオーバーしながら観る)でも同じように行ないます。
このように<観の目>で画面を「観る」と、今まで観えていなかった花のスピリットの舞が活き活きと息づいて迫ってきます。平面だった写真に奥行き、立体感が出てきて、光と陰のコントラストが際立ち、まるで生きている花や葉をを目の前で観[み]ているようなリアルな感覚が起こってくるでしょう。
<観の目>が深まってくると、普段目にもとめず通り過ぎていた町並みの風景も、美しい絵画のように圧倒的な存在感を持って迫ってくるようになります。
・・・・・さて本題はここからです。
最近、夫と一緒に最新作のスライドショーを観照しながら、「観の目」をさらに奥深く開くための秘法を教えてもらいました。
帰神スライドショーとクロスオーバーされている帰神ミュージックが、その鍵になっています。
「観照しながら、音楽を聴くことと、画面を観ることとを、両方、均等に、半分ずつ意識してごらん・・・」
「・・・・・あっ・・・・すごいっ!」
「観る」ことと、「聴く」こととを、両方どちらにも偏らず、ちょうど均等に、50%ずつ意識しながら観照すると、なんと自然に「観の目」ができてしまうのです!
普通は、どうしても「みる」ことに意識が偏ってしまいがちで、<観の目>が崩れてしまうのですが、この方法だと簡単に観の目を維持できます。
帰神ミュージックがクロスオーバーされている帰神スライドショーを観照していて、音楽のことはほとんど覚えていない、音の記憶が曖昧になっている場合、おそらく、「みる」ことに意識が偏っていて、完全な観の目が崩れている可能性が高いです。
現代人は視覚が90%以上だそうですが、帰神ミュージックを活用し、聴覚への意識を増やすことで、視覚自体もさらに細やかに開かれていくのです。
それでは、初公開の帰神スライドショー&帰神ミュージック『シパダン 特別編』をご観照いただきつつ、視覚と聴覚とを半分ずつ、意識してみてください。クロスオーバーした帰神ミュージックは、『プラウ・シパダン』の11曲目(注)です。
マヤのミニ・スライドショー
『シパダン 特別編』を、<視覚と聴覚を半分ずつ意識しながら>観照してみたら、魚の群に囲まれた海の中にポンと放り込まれたような眩惑感に圧倒されてしまいました。
『シパダン』とは、世界中のダイバーから<海の聖地>として崇められているマレーシアの海なのですが、詳しくは、次回以降のブログで関連記事などをご紹介したいと思います。
我らは、歓喜と感謝に満たされる!!!
注:『プラウ・シパダン』は、『ボルネオ巡礼:2009』を機として顕[あら]われた帰神ミュージック。11の小品からなる組曲。
<観の目>関連ページ
→ヒーリング・フォトグラフ、アーティクル『観の目』文/高木一行
ブラックラット・スネーク(リューシスティック)のまろばし嬢。
成長するにつれて純白になりますが、今のほんのりうす桃色の体も素敵です。しっとり、モチモチの触感にうっとり。