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 音楽を愛する若者たちに限らず、プロの歌手や演奏者、作曲家たちであってさえ、 音楽を中心にした生活を実現することが、わが国では非常に困難だという。音楽だけで生活が成り立っている者は、ごくわずかな一握りの者たち・・・いや、「一握」りですらないかもしれない。

 音楽家になりたいと言う子供に向かって、多くの親は判で捺したように答える。「そんなもので食べていけるはずがない」、と。音楽に限らず、藝術[げいじゅつ]全般についてもまったく同様だろう。
 藝術[アート]や藝術家[アーティスト]が敬われないとしたら、その社会の文化レベルは極めて低いと言わざるを得ない。
 未開とされる社会であっても、藝術活動は人生の重要事とみなされているのが通例だ。藝術を志す者や、藝術に携わる者たちが、非生産的な社会のはみ出し者のごとく軽んじられるような文化は、もはや文化の名に値しないとすら言えるかもしれない。

 今、インターネットを通じ、コーヒー一杯よりも安い値段で低音質(mp3音質)の楽曲が「投げ売り」されている。 
 それは音楽という藝術そのものの価値を著しく引き下げ、貶[おとし]めることであると同時に、受け取り手自身の感性を鈍く曇らせることに一役も二役も買っている事実に、皆さんはすでにお気づきだろうか?

 別に何の問題もないし、低音質だろうが何だろうが買い手である自分が満足してるんだから、ケチをつけられる筋合いのものじゃない・・・そのように頑固に主張して譲らない人間は、自分が一体何を犠牲にしているのか、自分が何を踏みにじっているのか、まったくわかってないのだろう。

 藝術の繊細さを感じ取る感性とは、生きることそのものの質を感じる能力にほかならないのだ。
 低音質の粗いざらついた音楽に何らの違和感も覚えず、それでいいじゃないかと納得してしまうような生き方を続ける限り、その人は「豊穰」の何たるかを一生知ることができない。
 
 豊穰とは、豊かであるということだ。満ち足りているということだ。
 それは実は、あらゆる人間の内面に天性の輝きとして充ち満ちているものなのだ。
 藝術の役割は、その内面的な豊かさの<質>へと人々の目を向けさせることにある。

 そのような本来の役割とまったく正反対の方向へと、現今の藝術[アート]の多くが向かってしまっている。
 私たち1人1人が藝術の本当の意味と価値を理会し、藝術への敬いが社会レベルで取り戻されないかぎり、個人としての豊かさと充足感はもちろん、暮らしやすい豊かな社会は決して現実のものとならないだろう。

 少し回り道をお許しいただきたい。 
 女性による家事一切や、子を産み・育てることなどの「価値」はGDP(国内総生産)に含まれてないが、もし加算すればGDP値は一気に倍に跳ね上がると言われている。
 家政婦を雇ったり、ハウスクリーニング(清掃)会社に依頼したりすればどれだけ高くつくかを考えただけで、社会のためになくてはならぬ女性たちの働きが「無価値」と貶められているこの世界の現状が、信じ難いほど偏っていて、歪んだものとして感じられるようになるはずだ。
 女性たちは一致団結して全世界ストライキを起こし、「家内」で女性たちがなす諸々の「働き」を社会全体が敬い、尊重するようにならない限り、もうセックスもさせないし、子供も産まず、家事一切もすべてお断り!と強硬に主張するべきだ。

 それとまったく同様に、藝術への敬いを欠く価値観は、人間性そのものを「低品質」にし、延[ひ]いては社会の活気を損なうことへとつながる、不健全で生命否定的なものなのだ。
 この事実に気づくためには、マスコミや専門家などによる「外側から来る」言葉に一切重きを置かず、真っ白な状態で、自分自身の「内側で感じる」ことを始めるといい。
 それは本来とても自然なことなので、全然難しくなんかない。一部の才能ある者だけにわかるようなことではなく、もしあなたが<美>を愛する人であれば、もしあなたが豊かさに満たされる体験を望んでいるのであれば、あなたにも自然にわかるはずだ。

 ちょっとした実験を以下に用意した。
 高木美佳の最新作『愛の捧げ物』の冒頭部分を例に取り、それを低音質のmp3、CD音質(44.1キロヘルツ)、DVD音質(96キロヘルツ)で順に聴き比べるというものだ。
「ちょっとした実験」なのだから、肩ひじ張らず、眉をしかめず、リラックスして、身構えることなく、聴覚に注意を集中するため聴く時は目を閉じて。
 よりよく聴こうとして耳に集中すると、かえって聴こえにくくなるので、その点にだけ注意。要は、1人切りになれる静かな場所で、リラックスしながら聴けばいい。音量は心地よい範囲内でできるだけ大き目に。ヘッドフォンを使えば、最大の効果が得られる。
 mp3音質の次にCD音質を聴いた時、音量が大きくなったと感じる人がいると思うのであらかじめ申し上げておくが、音量はどれも皆「同じ」だ。
 余計な先入観を与えることは避けたいので、これ以降の文章はあなた自身が以下の1つ1つを順に聴いてゆき、違いを実際に「感じ」た後で、読んでいただきたい。
 わずか数十秒を3回。たったそれだけで、あなたの人生そのものが本質的に変わり始めるかもしれない。それだけの内容を、このシンプルな実験は含んでいる。

 

DEDICATION

藝術の復権

文/高木一行

 お望みであれば、一通り聴き終わった後で再びMP3へ戻り、最初から聴き比べてみれば、ますます違いが際立つ。
DVDから逆に音質を落としてゆくとどうなるか、という聴き方も面白い。「人間性そのものの質が低下する」と私が言う意味が如実におわかりになると思う。DVDからCD、mp3と移り変わるにつれ、自分自身だけでなく、世界そのものがより鈍く、より粗雑で平面的な薄っぺらいものとして感じられるようになってゆくから、ちょっと空恐ろしくなってくるかもしれない。
 mp3からDVD、DVDからmp3という対比も面白い。

 

 音楽は2つの性質を備えている。
 音符によって端的に表わされるような「粒子性」と、複雑な波紋の複合体としての「波動性」だ。
 mp3音質の次にCD音質を聴くと、 粒子性が格段に増した結果として、曲を構成する様々な音がより細やかに、より鮮明に聴き取れることに気づくだろう。
 そこからさらにDVD音質へ進むと、音やリズムの間で生じる複雑なうねりが聴こえ始めるが、この現象は粒子性がさらに増したことで、粒子間の共振や干渉がより一層多層的で精妙となったことに起因している。

 

 私が提唱してきたヒーリング・タッチ(意識的な触れ合いの術)の、一端でも体得している人は、上記3つの音質を聴き比べる実験の1つ1つのステージで、聴いた直後に自分の前腕などどこでもいいからヒーリング・タッチしてみるといい。
 聴く音質によって、タッチ感覚の質(細やかさ)と量(感じる深さ)が驚くほど変化するのがわかるだろう。
 触覚に限らず、視覚にも、味覚にも、嗅覚にも変化を及ぼす。
 実際のところ、五感とは各々独立したものではなく、相互に関係し合っている。
 そして五感の基礎は触覚だ。
 さらにつけ加えるなら、触覚を通じて人は「自分自身」を知り、愛や敬いに基づく社会性(他者との関係性)を育むのだ。
 産まれて間もない赤ん坊は、愛に満ちたタッチを受けることがなければ死んでしまう。成人においても、タッチは「生きること」の本質と常に関わっている。

 

 聴く音(曲)の質によって、目に映る世界がどのように違って知覚されるかについては、美佳が旧ウェブサイト内で実験的作品を提供している。同一のヒーリング・スライドショー作品を、異なる2種類の音質の帰神ミュージックとクロスオーバーさせ、両者を順に観照して比較するというものだ。
 これまで音楽にも藝術にもあまり関心がなかったという多くの人々が、この実験によって衝撃を受け、以来、音楽に限らず感覚の「質(細やかさ、繊細さ、多層性)」というものに深く注意を払うようになったと報告している。

 

 

 藝術の復権が、一個の人間としての心身両面における成長と成熟はもちろん、社会の成長と成熟のために必要不可欠である理由が、「実感」を通じておわかりになったと思う。
 かつて王侯貴族が藝術の庇護者となったように、「主権在民」の社会にあっては、市民の1人1人が藝術を保護し、もり立てるパトロネージの役割を自覚せねばならない。
 公務員を除き、あなたも私も主権者であるわけだが、主権者とは「国家の最高権力者」という意味なのだ。
<藝術>は、主権者たる者としてのたしなみであり、歓びでもあり、生き甲斐ともなり、と同時に社会全体の活力を高め、美を基調とした平和で調和的な世界を実現する道だ。

 藝術作品として魂を打ち込んで創作されている美佳の楽曲に対し、物として切り離された作品が二束三文で売り買いされる既存の商業方式から決然と離れ、生命を持って成長し続けてゆく<藝術体験>という形で世に問うことを、私は提案した。
 楽曲購入者には高音質音源がインターネットを通じて配信されるが、それは終わりではなく始まりを意味する。
 まずは、各自が好きなように聴き、徹底的に味わい尽くし、堪能していただきたい。
 それだけでも充分楽しめるわけだが、その同じ曲が「生命をもって成長する」驚きが、あなたを待ち受けている。
 楽曲を購入して少し経った頃、その曲をより深く味わうための特別レッスンが、曲の世界観を深める情報などと一緒に、電子メールで送信されてくる。 


 ただ聴くだけでいいそのレッスンを試せば、すでになじみ深いものとなって隅々まで知り尽くしたと感じていた曲が、一気に途方もない深みと、繊細さと、ゴシック建築のような複雑な立体性を備えるようになる。
「認知の変化」によって、まったく同じ曲がかくも劇的に変わることに、あなたはひたすら感動を禁じ得まい。
 そうしたレッスンを構築することは、作曲者であり演奏者である美佳のみに可能なわざだ。その一例が、旧ウェブサイト内で紹介されているので、藝術的感性を深めることに関心がある方は、是非試してみたらいい。

 


 我らは、歓喜と感謝に満たされる!!! 

☆できるだけ高音質再生対応のスピーカーやヘッドフォンでお聴きください。スピーカー等が低機能だと、違いが不明瞭になることがあります。

☆YouTube音楽動画では音質の違いがわかりにくい場合は、下記のダウンロードファイルをクリックすると、元ファイル(各約40秒)をダウンロードしていただけます(DVD音質ファイルは容量が大きいので、ダウンロードに時間がかかることがあります)。

MP3ファイル(ai.mp3)をダウンロード

CD音質ファイル(ai44.1.wav)をダウンロード

DVD音質ファイル(ai96.wav)をダウンロード

<参考サイト>

『for Musicians 第5回 高音質スライドショー』

 http://www.healing-network.com/hn_contents/sound/for_musicians/05.html

 同じスライドショーに、MP3音源と、高音質(DVD音質)、それぞれ同じ音楽をクロスオーバーすることで、音質の違いが視覚にもたらす影響をダイレクトに体験していただけます。

 http://www.healing-network.com/hn_contents/sound/for_musicians/05.html

 

『ヒーリング・ディスコース グノーティ・セアウトン 第7回 音のたまふり』

 http://www.healing-network.com/hn_contents/discourse/gnothi_seauton/07.html

 帰神ミュージック『シャクティ』をテキストとして、各楽器を分けて聴くことで、音楽の多層構造を体験できます。

→本寄稿の続編『ブログT 第24回 感性への挑発』(文/高木一行)もぜひお読みください。

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