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『ケラマ・グレイス 第3章
〜海神〜』 御開帳!!!
高木一行&美佳の<いのちの巡礼紀行>、『ケラマ・グレイス 第3章 海神[わたつみ]〜Goddesses & Gods of The Sea〜』が御開帳となりました!!!
→http://ryugu555.wix.com/kerama-grace#!-3-/cmevf
以下に、本文冒頭部分(文/高木一行)を抜粋します。
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帰神撮影とか帰神録音といった言葉を私たちが使うのは、言うまでもないとは思うが、普通のやり方で撮影し、あるいは録音しているわけでは「ない」からだ。
機械技術的なテクニックのことを指しているのではなく、例えば帰神撮影においては宮本武蔵が『五輪書』において「見の目を弱く、観の目を強く」と説いた「観の目」に相当する「目付け法」をもって撮影することを重視する。
観の目とは、一言で言えば、視野を大きく、柔らかに、受動的に、開くことだ。より正確に言うと、(能動的に)「開く」のではなく、「開かれるがままに任せる」。
視野の中にある何か(部分)を注視する通常の「見る」ことに対し、視野全体をトータルに「観る」。
すると、目に映るあらゆるものが驚くほどの「空間性」を備えるようになる。空間性とは、立体感や透明感、色彩の鮮やかさはもちろん、普通は知覚できない事物の内面性をも含む。
経験を積んだ名医や民間療法の大家などが、患者を一目観ただけでどこがどう悪いのか正確に言い当てる際に用いているのも、やはり「観の目」だ。
実は、帰神フォト(静止画像やスライドショー)も「観の目」をもって向かい合うのが本来の在り方だ。鑑賞ではなく観照という、禅や瞑想の用語を使っているのはそういう理由による。私は一つ一つの言葉を極めて意識的に用いている。(・・・つづく)
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私たちの帰神スライドショー作品をご覧になる際に、<観[かん]の目>という目の使い方で<観[み]る>ことで、作品に込められたマナ(生命力)をダイレクトに感じ取ることができます。
私が<観の目>を練修し始めてから、<観る>ことによる変化で著しいのは、楽譜を読むことが楽になったということです。
もともと私は楽譜を素早く読むのが苦手で、一つの曲を弾くのに非常に時間がかかっていました。
しかし、<観の目>を練修しながら帰神撮影したり、帰神スライドショー観照等を楽しんでいるうちに、いつの間にか、楽譜を読むことがそれほど苦でなくなり、色々な曲を「ちょっと弾いてみる」ということができるようになってきたのです。
これは私にとりとても大きな収穫です。
さて『ケラマ・グレイス 第3章』では、帰神ミュージック『海神[わたつみ]』がクロスオーバーされています。この曲は『ニイル・ピトゥ』というアルバムに収められていますが、アルバム自体が絶版となってしまい、世に出る機会がありませんでした。
しかし今回、<ケラマ・グレイス 第3章>で華々しいデビューを飾り、ようやく日の目をみることができました。
2016.01.07 文/高木美佳
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最近は体が大きくなり、土鍋に入って回転することができなくなったため、タライ風呂に入っている。